研究戦略部 第一線で活躍している研究者

Introduction of leading researchers at HU

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大学院先進理工系科学研究科 黒田 健太 准教授

超高速な物理現象を解き明かし、次世代の技術「スピントロニクス」を前に進める

黒田 健太
事業名 創発的研究支援事業(JST)
採択年度 2023年度

電子スピンの超高速な動きを捉える

私の研究分野は物性物理学で、物質が示す性質の発生機構を研究しています。物理学では、宇宙の始まりの解明にもつながるクォークなど素粒子の研究が人気ですが、私は手に取れるサイズの物質が研究の対象です。半導体や磁石など我々の豊かな生活を支えているデバイス材料がなぜそのような性質を示すのか、最新の実験手法を用いて調べる研究を行っています。

今回、創発的研究支援事業に採択された研究は「多次元光電子分光を用いたスピン流の極限的超高速特性の開拓」。タイトルに含まれる「多次元光電子分光」「スピン流」「極限的超高速特性」の3つのキーワードが、私の研究をご理解いただくためのポイントです。

まず「スピン流」について説明します。現代物理学の基礎として発展した量子力学によれば、電子にはプラス・マイナスの電荷があることに加えて、上向き(アップ)・下向き(ダウン)のスピンを持つことがわかっています。この電子のスピンは、電子の自転に対応しており、物質の磁気を生み出す源であるため、電子は“小さな荷電粒子”だけでなく“小さな磁石”としての顔を持っています。

エレクトロニクスでは、半導体素子内で電荷の流れを制御して、電荷が流れるか流れないかを情報として扱うことにより、デバイスとして機能します。つまり、エレクトロニクスとは、電子を“小さな荷電粒子”として扱い、その動き(電流)を制御する技術と言えます。それに対していま世界で研究が進むスピントロニクスでは、電子を“小さな磁石”としても扱います。この研究分野では、電荷の流れだけでなく、電子スピンの流れ(「スピン流」)を制御する新たな挑戦が行われています。このスピントロニクスを応用したデバイスは、小型化、省電力化、高速動作などの点で従来のエレクトロニクスに比べて高性能になる可能性があることから、大きな期待が寄せられています。

スピン流のイメージ図

 

ノーベル物理学賞を受賞した技術であるアト秒レーザー光を使う

しかしそうしたデバイスの開発には、超高速で動作する「スピン流」を観察し、制御する必要がありますが、まだ実用的な技術は完成していません。私の研究は、その観察手法・制御技術の基本原理を確立することが目標の一つです。電圧などの入力信号に対する「スピン流」の応答は、フェムト秒(1000兆分の1秒)〜アト秒(100京分の1秒)という、とてつもない短時間で起こります。研究のタイトルに「極限的超高速特性」とあるのは、それが理由です。この超短時間に物質に起こる変化を捉える手法は、世界中で大きな注目を集めながら発展しています。2023年のノーベル物理学賞も、その超短時間の物理変化を見るための方法として、アト秒パルス光の生成に関する実験的手法の開発に貢献した研究者に贈られました。

スポーツや車のレースなど、速い動きをする人や物をぼやけずに写真に捉えるには、カメラのシャッタースピードを上げる必要があります。それと同様に超高速な電子の動きを捉えるためには、フェムト秒〜アト秒レベルでシャッターを切る必要があります。研究タイトルに書いた「多次元光電子分光」とは、超短時間だけ光るパルスレーザーを使った「スピン流」の新しい観察技術のことで、そのパルスレーザーがカメラのシャッターの役目を果たします。広島大学の放射光科学研究所(HiSOR)には、物質中の電子スピンを捉えられる実験技術(スピン角度分解光電子分光)で世界最先端の研究環境があり、今回採択された研究では、この技術に超短パルスレーザーを導入することで、「多次元光電子分光」まで発展させて利用します。

HiSOR で開発されたスピン角度分解光電子分光装置

 

電子のスピンを撮影したデータ。スピンの向き(赤:上向き、青:下向き)と電子の運動方向を捉えることで「スピン流」を観察できる。

 

アートのように、実験で世界を表現したい

「スピン流」だけでなく物質内で起こる超高速な現象は、まだまだわからないことがたくさんあります。例えば、物質に強力なレーザーを照射した際には、発生した熱によって物質が削れたり壊れたりすることが知られており、この現象はレーザー加工として産業利用されています。光照射で発生した熱は、光照射からおおよそ数ピコ秒(1兆分の1秒)程度で発生しますが、熱が発生するもっと前のフェムト秒〜アト秒の超高速領域で、何が起こっているかまではよくわかっていません。実際に、強力なレーザーを物質に続けて照射して加工するよりも、超短パルスレーザーでフェムト秒~アト秒の極めて短い瞬間だけ照射した方が、スパンときれいに加工できるという結果が知られていますが、その原理は未解明です。超高速の科学は、基礎科学だけでなく新たな産業技術への可能性を秘めています。

私は自分の研究を含め、研究を“アート”として捉えています。絵画や音楽など芸術作品によって人々の世界観と表現方法が変わるように、未踏であるが故に未だ描き出せない超高速の世界を実験で切り出して表現することで、人々の世界観をより豊かにしたいと思っています。いわば、実験技術の開発は新たな表現方法の創出で、研究活動は新たな世界観の提案です。

学生時代に、超高速現象に関する論文に出会って圧倒され、自分の世界が豊かになった体験をしました。学位取得後、超高速科学で最前線を走るドイツに飛び込み、創発的研究支援事業に採択された研究の着想に至るまで、その体験は脈々と続いています。今回の採択期間を通じて、未だ描き出せない超高速の世界を「多次元光電子分光」で表現して、新たな世界観を世の中に提供したいと思っています。